実感

意識が揺らいでいるような、そんな錯覚に陥りながら、シャープペンシルを走らせつづけていた。
昼間聴いた音楽が。頭の中でフラフラと、アンビギュアスな色彩をともなって、心臓に熱を与えるように、左右している。
周囲の人間が、落書きに俯く僕の頭上で、やりとりをしている。会議中。


・・・
「左耳と右耳では聴こえる音が違う」
「左目と右目では見える色が違う」
「鼻の穴も左右で匂いが違う」
・・・


黒い実感が胸を支配していた。
真っ黒な感触が、手で触っているかのようにはっきりとわかるのだ。


手が動く。
ペンが右へ走り、左へ走り、この世に実在しないはずの模様を現して行く。
考えるよりも先、ふと、俯いていた頭が勝手に上がり、口が勝手に喋った。


「左手と右手では触った感触が違う!」


はっと我に返って見渡すと、誰も彼も、目の前の机に俯いていて、ペンを目の前の紙に走らせていた。
そしてその後は、僕もまた下を向き、落書きを繰り返すだけだ。


・・・
「左胸と右胸では脈拍が違う」
「左の腎臓と右の腎臓では濾過の早さが違う」
「左足と右足では走る速さが違う。」
・・・


会議終了のアナウンスが不意に。
熱が蓄積されていた心臓が、爆発するように(あるいは水を浴びせかけられたように)飛び上がり、
音が雪崩のように現実味を帯びて、耳に入って来た。
現実への知覚がはっきりすると同時に、あの胸の中の真っ黒い実感は輪郭を失ってしまった。もはや触れることもままならない。
僕は安心感とも、残念な気持ちともとれないような、どちらかというと後者がまさっているような、そんな気持ちになった。
表現の実体と、また出会えなくなってしまった。
嗚呼、椅子から立ち上がり、身体の軋みを解す。以上。