矢車菊(3)

矢の車ってどんなかんじだ。

語呂の良さと、連想させる絵が気に入ってて、ついつい書いてしまうけれど。

矢という文字から、速度を伴って関連された車とは、現代の燃料による大きな移動手段より、むしろ機織りとか、かつて脱穀に使われた木製の器械みたいなものを思わせる。

だから、いつも矢車菊と言葉にしながら思い出してるのは、昔よく散歩した畑の横に咲く彼岸花の赤い線がちな花ばっかりなのだ。

青は空の広がりより土の現在だし。

燃える日々そのままに、あおい草花を、新緑というならば、石で固めた地面を歩くならば。

スニーカーの足跡も残らないんだな。

ひもを結びなおすようにした。最近。

 

 

青い石

歳をとり時間が過ぎるのが早くなるにつれ、自分の人生が有限であることに、そしてその中で出来ることは本当に少ないことに気づいてきた。

資格試験を受けるにも一年かかる。曲を作るのもほっといたら何年もかかる。

それが自分の一生に何かをもたらすものとしても、せいぜいたった80年で、大切な日々はその全てとも限らない。

だからこそゆっくりしてられないし、どんどん誰かに伝えて行かなくてはいけないし。

自分の蒔いた種が形を変えてもだらだらとでも広がれば無意味ではないのだろうけど。

その中で自分を怠惰に押さえつける命令は一体なんなんだ。

逆らう力を持つことだ。だからこそ戦う力が求められるのか。

 

言ってることは変わってるようで変わらないけど、語尾だけは変わり続けるし、それが本当なのだと思う。

口癖のように青と呟き続けてる。くそったれ